2014年9月16日火曜日

【思い出の選手列伝】加世田美智久・逢坂輝樹

個人的な思い出の選手を挙げて行く思い出の選手列伝。

今回は1987年に西武に新入団を果たした投手二人です。

加世田美智久投手はドラフト4位で西武ライオンズに指名され都城高校から入団。
都城高校はロッテのストッパー井上祐二、コユキの方の田中幸雄(田中雄)、後の楽天のストッパー福盛和男なとを輩出した名門校です。
加世田投手は当時も今も珍しいナックルボールの使い手として入団時はコアな西武ファンを喜ばせました。

結局、一軍では1試合に投げただけで1982年に退団。

その後は西武で打撃投手を務めました。
2010年に退団後、現在は、三井浩二の入間野球教室の講師や入間リトルシニアの監督を務めているそう。

※入間野球教室

現在も野球に関わっておられ、地元FM局の取材を受けておられるなど、野球選手の第二の人生としては比較的順風満帆なのではないでしょうか。

※SPO-NOW


1987年(正式には1988年入団)に西武ライオンズに入団した投手はもう一人います。

逢坂輝樹投手。
ドラフトでは指名されていませんが、当時の制度にドラフトに漏れた選手のドラフト外入団という自由競争の制度があり、逢坂投手は奈良商業からドラフト外で入団しました。
私は逢坂春樹と間違えて記憶していたので、恐らく逢坂輝樹とかいて「はるき」という読み方だったんじゃないかと思います。
当時の西武ライオンズ友の会の会報にはまだ荒削りだが145キロの快速球は魅力、と、書いていました。
今ほどウエイトトレーニングが盛んでなく、またスピードガンの性能も甘かった当時、145キロは希少な快速球でした。

その快速球に思いを馳せ、活躍を楽しみにしていましたが、一軍登板はありませんでした。
2軍では通算0勝4敗1Sの成績が残っているようですね。

2投手とも、一軍で活躍することはなかったのですが、ナックルボーラーと145キロ右腕にワクワクした、そんな記憶が残っています。




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